元東大生が果たして東大を中退してよかったのか考察するブログ

東大の近くを歩いていたら、偶然、東大の卒業式に遭遇してしまったことをきっかけに始めたブログです。

計画された偶発性理論をぼくは人生哲学として掲げる

学校に社会的身分のある人が

講演しに来ることはきっとどの学校でもあるはず。

 

ぼくはその講演できっといろんなことが

変わりました。

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そして、、、

東大中退したきっかけとも重なる部分があります。

 

 

スタンフォード大学、グランボルツ教授の提唱する

計画された偶発性理論

 

ご存知でしょうか?

 

誰が講演に来たのか?

いつ来たのかすら覚えていません。

 

ただ、すごく印象に残って

人生の指針になっている。

 

人生に迷った時に立ち返る理論です。

 

それが計画された偶発性理論。

 

スタンフォード大学の教授が提唱している理論で、

キャリアに関する話です。

 

端的に言うと、

 

個人のキャリアの8割は予想しない

偶発的なことによって決定される

 

その偶発的なことを計画的に導くことで

キャリアアップをしていくべき

 

つまり、

 

今までのキャリア的考えた方、積み上げ型の、

見えている階段をのぼる感じ

 

とは今は違いますよ。

 

その自分のキャリアアップの機会は

予期せぬことがきっかけになるけれど、

 

引き寄せる行動指針はあるよ

 

って話です。

 

その行動指針は

(1)「好奇心」 ―― たえず新しい学習の機会を模索し続けること
(2)「持続性」 ―― 失敗に屈せず、努力し続けること
(3)「楽観性」 ―― 新しい機会は必ず実現する、可能になるとポジティブに考えること
(4)「柔軟性」 ―― こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること
(5)「冒険心」 ―― 結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと
(参考:『その幸運は偶然ではないんです!』ジョン・D・クランボルツ、A.S.レヴィン著 花田光世ら訳 ダイヤモンド社 2005)

 

というもので、全て兼ねるのは難しいなと思いつつ、

でもその矛盾を解消した行動したら、

 

非常に楽しいことになるだろうなと。

 

ぼくは高校生の時、

『柔軟性』『冒険心』を忘れていたと思います。

 

東大に入れる学力に達した時点で

失ってしまいました。

 

ダラダラと遊んでしまいました。

 

東京大学理科一類の合格者平均点を

確実に取れるようになり、

 

別に医者になるつもりもないから、

偏差値的には上である、

理三を目指すことはなかった。

 

もういいかと。

 

工学系なら日本のトップだから。

 

 

この、、、日本の、、、

がダメでしたね。

 

世代的にも同様ですね。

同い年しか見てなかった。

 

だからダメだった。

 

 

東大に入学してからも同様だった。

そして、ある出会いがあって、視野が変わってきた。

 

k-endo.hateblo.jp

 

出会いについてはここを参照。

 

いろんな好奇心が今はあります。

続けることは続けています。芯はあります。

割と楽観的に進んでいます。

芯の実現のために手段は選びません。変わるとこは変わります。

リスクは取ってます。

 

きっと今も将来の自分から見たら甘いのかもしれません。

 

けれど、この行動指針を元に行動し始めて、

自分のキャリアップに繋がるきっかけが増えている。

 

 

日本の大学は

この計画された偶発性理論

を実現できる場所じゃなかったんですよね。

 

いや、正確に言うと、

入ってないほうが実現しやすかった。

 

とぼくは思っています。

 

 

だって、単位取らないといけないんだもの。

好きなことできなかった。

 

言い訳もできる。

 

環境がダメだったのもある。

やっぱり日本の大学生の勉強時間の基準が違う。

 

自分で自分を律することができるほど、

ぼくは優秀じゃないんですね。

 

環境に引っ張られた。

 

だから抜け出ました。

きっと高校生の時、英語が普通に使えていたら

ぼくのキャリアは間違いなく違っただろうな。

 

しみじみ。

 

これからも計画的に偶発性を生み出していく。